横川浩治 

 鹿川(かのかわ)は西表島の南西端に位置する地で、背後を比較的緩やかな山ふところに抱かれた内湾状の地形となっている。はるか昔にはここに部落があって人が住んでいたらしいが、その部落は西表の有史以前に消滅した。もっとも数年前までは鹿川の仙人と呼ばれた三浦さんという老人が独りで住み着いていたが、その人も既に別の地に移り、現在ではまた無人の地となっている。私は、ダイビングでは何度かこの鹿川を訪れ、上陸したこともある。しかし、以前から自らの足で歩いてたどり着きたいと思っていた。 
鹿川への陸路   
 鹿川への陸路はいくつかのルートがある。まず、船浮から網取湾の東岸づたいに進み、山越えをして鹿川へ向かうルートで、このルートは利用する人も多く、道もかなりわかりやすいらしい。次に、白浜から船で越良(くいら)川を遡り、遡上限界点から島のいちばん細くなったところを一気に越えて(越良越え)島の南海岸へ出、それから海岸づたいに歩いて鹿川へ向かうルート。さらに、南風見田の浜から西に向かってひたすら海岸線を歩いて鹿川へ向かうルートがある。今回、私はそのうちの二番目のルートを選択した。その理由の一つは越良川の上流で研究用の貝の採集をしたかったこともある。しかし、それは結果的にかなりハードなルートであり、ふらふらになって鹿川にたどり着いたときには、とんでもないことを考えついたものだと思ったが、今にして思えばとてつもなく楽しかった経験であった。そこで、今回の鹿川キャンプ体験記を紹介したいと思う。
 今回は東京在住の山本素廣君と黒瀬かほるさんの二人と一緒である。彼らとは、彼らが学生時代にカンピラ荘で会い、今では二人ともカンピラ荘の常連客となっている。以前に1泊2日の島の縦断を一緒にやったこともあり、気心は通じている。特に山本君はアウトドアライフをこよなく愛する野生児であり、こういう企画にはうってつけである。

 2000年9月18日、朝6時半に起床する。なぜこんなに早く起きたかというと、例によって前の晩もカンピラ荘のロビーで飲んでいたためにキャンプの準備が十分にできていなかったからだ。眠い目をこすりながらキャンプ道具をザックに詰め込む。午前7時にカンピラ荘のはす向かいの川満スーパーがオープンする。キャンプの食糧は前日の夜に買い込んであったので、とりあえずその日の昼の弁当や飲み物などを購入する。
 カンピラ荘に帰って来ると、カヌーサービス三拝云のバンが玄関でスタンバイしていた。こんなに早くからカヌーに行くのかなと思って敏夫さんに訊いてみると、その日の11時の船で帰るお客さんが二人いるので、その時間までに彼らをピナイサーラへ連れて行ってくるとのこと。しかしそれほどまでに客の都合を優先してくれるエコツアーも珍しいだろう(また三拝云の宣伝になってしまった)。その客というのは毎晩一緒に飲んでいた大阪の野田さんと東京の中島さんで、中島さんは数日前に私がマヤグスクの滝へ案内してあげた。二人ともダイバーなので観光する時間があまりなく、こんなすごいスケジュールとなったわけだが、それにしてもダイビングと島内観光が両立できるというのはありがたいことだと思う。
 さて玄関で二人を見送り、すぐに朝食を済ませ、出発の最終チェックをしていた頃に山本君たちがようやく起き出してきた。二人とも典型的なB型人間なのでどうしようもないところはあるのだが、一抹の不安がよぎる。案の定である。私は彼らに、“キャンプで1日宿を空けるので、宿代を節約するために荷物を全部私の部屋にまとめておくように”と云っておいたのだが、それが彼らには全く理解されおらず、キャンプの間の宿代をまるまる払うことになってしまった。また、その日の昼の弁当と飲み物は朝買っておくようにと云っておいたのだが、それも彼らの耳には入っていなかった。さらに、山本君は致命的なミスをおかしてしまった。
白浜から出港
カヌーで白浜を出港

 おじいの運転するカンピラ号で白浜に向かうべくカンピラ荘を午前8時に出発したのだが、2kmほど走ったところで彼は重大なことに気がついたのである。何と、山歩きには命の次に大切な登山靴を忘れてきたのだ。しかしそれを言い出すことは彼のプライドが許さず、結局このツアーの最後まで彼は靴のことは口に出さなかった。靴を忘れたことは彼らしく間が抜けているが、その根性は誉めてやりたいと思う。そこで、彼はどうしたかというと、白浜の屋良商店でサンダル(いわゆる便所草履)を買い、靴下にサンダルで歩き通したのである。なお屋良商店では彼らのための簡単な昼食(パンなど)と飲み物も購入した。
 さていよいよ出発である。越良川へ上るためには白浜で船をチャーターするのが通例だが、今回われわれはカヌーを利用した。西表ではここ数年カヌーが爆発的に盛んになり、白浜からも仲良川や水落の滝ツアーなどのカヌーコースがある。今回は、カンピラ荘のすぐ裏にショップのあるコーラルスポーンでシーカヤックを2日間レンタルした。前日の夜に話をつけておいたので、カヌーは既に白浜に用意されていた。私が一人乗り、山本君と黒瀬さんが二人乗りのオープンカヤックである。このカヌーはかなり安定性がよく、また荷物もたくさん搭載できる。荷物は、私が大小のザック二つ、山本君が担ぐ20Kg近くはあろうかという大きなザックと黒瀬さんの小さなザック等々である。これらの荷物は見事にカヌーの空きスペースに収まった。山本君が言う、“まるで輸送船ですね”。的確な表現である。天気は朝から快晴、風もなく絶好のコンディションだ。
内離島と西表島の間の水道 陸の孤島、船浮部落を遠望
内離島と西表島の間の水道 陸の孤島、船浮部落を遠望
内離島の南端からサバ崎を遠望 佐渡おけさを歌いながら進むご陽気艇
内離島の南端からサバ崎を遠望 佐渡おけさを歌いながら進むご陽気艇
 午前8時半過ぎにカヌーは白浜を滑り出す。漕ぎ出してしばらくすると内離島と西表の間の水道を通過する。正面には陸の孤島、船浮部落が見える。やがて越良川の河口にさしかかる。後ろの二人の乗った艇はなかなか来ない。あとで聞いた話では、このとき二人はカヌーの上で喧嘩をしていたそうだ。山本君が、黒瀬さんのパドル操作のタイミングが合わないのに腹を立てて、“今すぐ降りろ!”と言えば、黒瀬さんも“そっちこそ降りろ!”と応酬していたそうである。そんなことをやっていてもカヌーは前に進まないので、そのうち山本君が“エイホッ、エイホッ”と大きな声でかけ声をかけつつタイミングを取り始めた。付近には、おそらく水落の滝へ向かうであろうカヌーが数艇見える。少々気恥ずかしさを覚える。すると今度は山本君が、“♪佐渡はよぉ〜♪”と大声で佐渡おけさを歌っている。私はなるべく彼らから離れるようにした。仲間だと思われたくなかったからだ。
越良川河口 越良川の支流のヒドリ川河口付近
越良川河口 越良川の支流のピドゥリ川河口付近
越良川中流 越良川上流の遡上限界点
越良川中流 越良川上流の遡上限界点
 白浜を出発して約1時間、カヌーは越良川の河口付近に到達。ここでとりあえず二人のカヌーと合流して地図で越良川の地形を確認する。正面に川の入り口らしきものがふたつ見えるが、地図によれば右側はミズウチ川やイヌヌピシ川の入り口のようだ。水落の滝へ向かうカヌーはそちらへ進んでいるが、我々は左側の越良川の河口へと向かう。越良川の河口付近では川幅は相当に広く、浦内川や仲間川に匹敵する。遡って中流あたりになると川幅はやや狭くなってマングローブ帯が非常によく発達している。そこまでは西表の他の大きな河川と同じだが、川の右岸に急勾配の山の斜面が迫りまるで壁のようになっているのは他の川にはない景観である。さらに進むと川幅は一層狭くなり、水の透明度が増してくる。もう上流域も近いようだ。あるところで川筋が大きく左へ曲がっている。地図の通りの地形だ。そのカーブを過ぎるとすぐに水深が浅くなり、大きな岩がゴロゴロ転がっている。ここが越良川の遡上限界点で、島の幅がいちばん狭くなっている場所だ。
 時計を見ると10時半過ぎである。白浜からここまで地図で直線距離を測ってみるとちょうど8km、3時間はかかるだろうと思っていたのだが、予想外に早く着いた。山本君の佐渡おけさが効いたのかも知れない。後続のカヌーはまだ着かないので、とりあえず自分のカヌーを固定してから貝の生息状況を調べに沢の中を歩いて上流へ向かう。目的の貝というのはフネアマガイという淡水棲の貝で、笠型をしていて岩に張り付いている。しばらく沢を歩いて岩を調べてみたがフネアマガイは見つからない。おそらくまだ感潮域(潮の影響を受ける区域)なのだろう、フネアマガイは塩分を嫌う傾向がある。さらに15分ほど遡ると完全に渓流域となる。いたいた、例によって岩に張り付いているのを発見した。上流に向かうにつれて数は多くなってくる。とりあえずそのときは下見だけにして一旦カヌーのところに戻ることにした。
 下見から戻ってみると山本君たちが到着していた。少し早いが、ここの河原で昼食にすることにした。私は上原の川満スーパーで買ったボリュームたっぷりの弁当、山本君と黒瀬さんは白浜の屋良商店で買ったわずかばかりの(貧相な)パンである。この差は彼らの自業自得なのだが、やはりリーダーとしては情けをかけて弁当のおかずを彼らに分け与えてやる。チーズフライを山本君は犬のように一口で食べる。黒瀬さんに焼き魚をあげたら、曰く、“餌をもらってるみたい”。昼食のあと、彼らに少々仕事をしてもらう。そう、例の貝取りである。生息場所は既に把握しているので、そこまで彼らを連れて行ったら、特に山本君はよく仕事をしてくれた。ちなみに、このとき二人はイリオモテヤマネコの糞を発見したそうである。取った貝はメッシュの袋に入れて重しをして川の中に一晩置いておき、帰りに持って帰ることにする。
 さてとりあえず当面の目的達成で、これからいよいよメインイベントの越良越えである。装備を調えて午後12時半くらいの出発となった。そのときの私の出で立ちは、テントなどの入った40リットルくらいのザックを背中に背負い、それに入りきらなかった小物を別の小さなザックに入れて胸の前に抱えた、いわゆるロボコン状態で、ついでにカメラやフィルムの入ったウエストポーチまで着けていた。事前の情報では、ものの本によれば越良越えのちゃんとしたルートがあるとも書かれているが、しかしクマさんの話では道らしきものはないとのことなので、とりあえず我々はジャングルの中を強行突破という作戦でいくことにした。下から山を見上げてみると、相当に急勾配の山がまるで壁のように立ちふさがる。前述のようにここは島がいちばん細くなっている場所で、地図で直線距離を測ってみるとその幅はわずかに300m余りである。ところが高さも300m近く、地図で見る等高線の密度の濃さに思わず笑ってしまったほどで、まさに壁を越えるといった感じである。
 強行突破という作戦は決まってはいたが、一応歩きやすそうなところを探してみる。カヌーの係留点から50mほど上流に向かって歩くと人の歩いたような形跡が見つかったのでそこからエントリーすることにした。とにかく上に登る。ところどころに道・・・のようなものがあるが、気のせいかも知れない。かなりの急斜面で、なおかつほとんど視界が開けない。行く手を大きな木や岩に阻まれて何度となく迂回する。そんなことを30分もやっているうちに少し視界が開けてきた。ひょっとしたら頂上が近いのかも知れない。山の尾根のようなところに出た。下に向かう道のようなものがある。南海岸へ下る道か?と思って山本君のコンパスで方角を確認したらどうも方向が違うようだ。我々はとにかくひたすら南を目指さねばならない。そこで南に向かってさらに登り、巨大な岩を迂回したところでかなり開けた林に出た。いままでの密林とはかなり様相が違って平坦で歩きやすい。どうもここが山の頂のようだ。頂とはいってもかなり幅が広く、南北に100mくらいはありそうである。とりあえず私ひとりでその林を突ききってみると、その向こうには藪が広がっていた。その藪に少し分け入ってその先を眺めてみた。はるか眼下に広がる海が見える。南海岸の海だ。この場所で間違いはない。それを確認すると、私はまた林の中に戻って山本君たちを探した。“おーい!”、ずっと向こうから山本君の声が聞こえる。程なく彼らと合流して林の中でひとまず休憩である。
道なき密林を進む 頂上の林の中で休憩
道なき密林を進む 頂上の林の中で休憩
下りの急斜面 アダンの森を抜けて南海岸へ出たところ
下りの急斜面 アダンの森を抜けて南海岸へ出たところ
 さて今度はいよいよ下りだが、例によってまた強行突破である。頂上の林の向こうの藪で降りやすいところを探してみたがやはりだめだ。もう端からやみくもに突き進むしかない。このあたり藪は登りの藪よりもさらに植生が濃密で歩きにくいことこの上ない。おまけにそこら中に太い蔓(つる)がはびこっていて、少し移動するたびにロボコン状態のザックにひっかかる。手にダイビング用のシーナイフを持って断ち切りつつ進むのだがあまり効果はない。後ろを歩いている黒瀬さんに何度となく蔓をはずしてもらう。下り斜面の傾斜は登りよりもさらにきつい。場所によっては傾斜角が70度を越えているかも知れない。
 下るにつれて植生は次第に薄くなり、いくぶん歩きやすくなってきた。そうこうしているうち、先頭を歩いている私は大きな発見をした。進む方向が相当に開けていてまるで道のように見える。そのうち、目印のテープも見つかった。間違いない、これは紛れもなく道である。もしかしたら話に聞く越良越えルートの一部かも知れない。その道はほとんどまっすぐ下に向かい、あるところで密林から急にアダン帯に変わる。アダン帯にはいるとさらに傾斜がきつくなって、降りているというよりも落ちているといった感じだ。アダンの中に道があることはあるのだが、ここのアダンはそれはものすごい密度で生い茂っていて、まるで狭いアダンのトンネルを抜けているようである。もしこの道に遭遇しなければ、このアダンの森を切り開いて突破するのは並大抵のことではなかっただろう。もう海岸も近いはずだ。自然に足が急ぐ。ついに抜けた!目の前の岩場越しに海が見える。大きな岩の上に荷物を下ろして感慨に浸っていると、すぐに後続の二人もアダンの中から姿を現した。越良越え成功!である。時刻は午後2時前、山越えには約1時間半を要したことになる。
 天気もよく、久々の開けた場所というものは気持ちのいいものだ。その岩場でしばしの休憩である。“ちょっとうしろ見て”と黒瀬さんに言われて振り返る。いま下ってきたばかりの山がまるで巨大な壁のようにそびえ立っている。よくこんなところを降りてきたものだと思う。正直言えば私はこの南海岸へ抜けられるかどうかの自信がほとんどなかった。とりあえず越良川から山に入ってみて海に抜けられなかったら山中のビバークでもいいと思っていたし、最悪の場合は例のカヌーの係留点まで戻ってのキャンプでもよかったのだ。それが予想外の結果となったものだから、私が、“9割方ここまでたどり着けないだろうと思ってたよ”と言うと、山本君が言う、“そう思ってるだろうと思ってました”。すっかり私の性格を見透かされている。
 山から降りたところの左側100mほど先に砂浜が見える。あとで調べてみるとそこは越良浜という浜である。西表の南海岸は概して切り立った斜面から成るのだが、所々に砂浜も点在する。南風見田の浜から西に向かって、小浜、別れ浜、サザレ浜、大浜、越良浜、鹿川の浜と並んでいるそうだ。山から下ってきた道の出口には、木にしっかりテープでマーキングがされてあるが、その目印は遠目に見れば全くわからない。そこで山本君があたりの岩に矢印をいっぱい刻みつけてさらなる目印とする。これで帰りもだいじょうぶのはずだ。
 そこから西の方角に落水(ウティミ)崎が遠望できる。あとはこの方向に向かってずっと海岸線を歩けばいいはずだ。10分ほど岩場を歩くと転石帯が途切れて断崖絶壁の地形となる。あとでわかったが、ここは直線的な南海岸の海岸線から少し突き出た“ナサマ”と呼ばれる場所だ。とりあえず海に入ってみると意外と浅くて水深は足のふくらはぎほどだ。そうはいっても何があるかわからないので岸のテラス状の岩の上にひとまず荷物を置いて身軽な状態で偵察に行く。しばらくは浅いリーフが続くが、あるところで突然リーフが途切れ、そこから先は急深になっている。そこから先へ進むには泳ぐしかない。泳ぐのはどうということはないのだが、テントやコンロなどの入った荷物を濡らすわけにはいかない。ふと上の断崖を見上げると、10mくらいの垂直な崖のところに2本の白いロープが設置してあるのが見える。もちろん誰かが設置したものだということはわかるが、その用途がよくわからない。あれを使って上に登るのか?まさかそんなことはあるまい、ロッククライミングの装備でもない限りあんなロープであの垂直な崖を登るのはまず不可能だろう。それではいったい?と考えつつ、とりあえず偵察のために私ひとりで泳いで向かいの大岩に渡ってみた。そこからはわりあい簡単に断崖の向こう側の岩場に登っていくことができた。そこから回り込んで例の断崖に登ることにした。上に登るときに大岩がオーバーハングしたところもあるが、腹這いになって何とかそこもクリアーできた。そこで、迂回路がないか探してみる。岸壁の上の方のアダンの中に道の入り口のようなものが見えたので少し分け入ってみたが、アダンが生い茂っていて前に進めない。あるいはそこは道だったのかも知れないが、もはや歩ける状態ではないようだ。
越良越えから抜けてきた南海岸 ナサマから落水崎を遠望
越良越えから抜けてきた南海岸 ナサマから落水崎を遠望
ナサマで、最初はリーフの浅瀬を歩いていたが・・・ ここでリーフが切れていてこれ以上歩けない
ナサマで、最初はリーフの浅瀬を歩いていたが・・・ ここでリーフが切れていてこれ以上歩けない
ナサマの断崖に垂らされたロープ
ナサマの断崖に垂らされたロープ
 そして、件の断崖の真上にたどり着いた。例の2本のロープはかなりしっかりと岩に巻き付けられている。下のリーフに山本君と黒瀬さんがいる。この断崖の真下は8畳くらいの広さの平らなテラス状の岩盤になっていて、そこは海面から2mほど高い位置にあるために水はかからない。山本君が下のテラスにやって来た。そこで、上にいる私としばし大声で相談である。山本君が、“こりゃあここ越えるの無理じゃないですかあ〜?”と叫ぶ。私は“う〜ん”と唸ってしまう。もしここにカヌーか筏でもあればそれに荷物を積んで難なく越えられるのだが・・・そのとき、ある考えが浮かんだ。そうだ、このロープで荷物だけを上げればどうだろう。荷物がこの断崖の上にさえ上がれば向こう側に降りるのにさほどの苦労はない。そこでその考えを山本君に告げると、彼は“え゛〜っ”と言って、しばらく考えてからその場をあとにした。しばらくしてまた彼の姿が見えた。みんなの荷物を抱えている。あとで聞けば、この下のテラスまで荷物を持ち上げるのにも、山本君の持ってきた登山用のロープを使ってそのさらに下から何度も引き上げたそうである。
 さてこれからが大仕事だ。とりあえず私の小さなザックを上げてみることにする。山本君が下で件のロープをザックにしっかり結びつける。上から力を込めて引っ張ってみるが、何とか上がってきた。ただ、足を踏ん張るときにバランスを崩して転落しそうで怖い。さらに、この断崖の壁面はご覧のように平坦ではなく、ところどころにけっこうな凹凸があり、荷物がその凹凸によく引っかかって難儀した。とりあえずその調子で小物を次々と上げたが、腰痛持ちの私としては少々つらい仕事だ。そして最後に山本君の大きなザックである。さすがにそのままでは上がるはずがないので、出せるものはすべて出して重量を最小限にする。いよいよ引き上げだが、これがまた重い!渾身の力を込めてロープを引く。悪いことに例のごとく岩の凹面に引っかかって動かない。さらに力を込める。ザックは少しバウンドして凹面からはずれた。やっとのことで上がってきたが、さすがにこれを上げきったときにはその場でへたり込んでしまった。とにもかくにも作戦成功である。ここのロープはこういう使い方をするためにあるということがよくわかった。
越良川−鹿川ルート詳細図
 しばらくして、山本君と黒瀬さんも軽い水泳を終えて私のいる断崖の上へ上がってきた。山本君が開口一番、“ここ、いちばんの難所じゃないですか”と言う。私としても予想だにしなかったまさに“難所”である。さっき下でばらした荷物を再度パッキングし直す。山本君の大きなザックも元通りにできあがるが、黒瀬さんがそれを持ってみて言う、“あんたよくこんなの担いで歩いてるね”。山本君の荷物がこんなに重いのは、テント、全員の食糧、飲料水、おまけに酒盛り用の泡盛の1升パックなどが入っているからである。この発言に対しては私は山本君に同情したい。ただし、彼の荷物を代わりに担ごうとは思わなかったが。
 何とかナサマの断崖を越えた。ナサマを越えるとそこから西の方角には既に鹿川の浜が遠望できる。このぶんだとあと1時間もかからないだろうと思った・・・のは大きな間違いだった。ナサマから鹿川へはず〜っと転石帯が続いている。転石といっても、長さ数メートル以上もある大きな岩が折り重なるように並んでいるのである。そんな岩を登っては降り、降りては登りの繰り返しが延々と続くのだ。そんな転石帯の合間に何ヶ所か小さな砂浜もあるが、ほとんど気休めにはならない。とにかくひたすら歩く。途中、また海の中を歩かねばならないところが2ヶ所あったが、ナサマのようにリーフが途切れることはなく、そのまま歩いて通過できた。もう太陽は西に傾きかけていて、その太陽に向かって歩いている。9月とはいっても西表ではまだまだ真夏の日差しである。強烈な西日が真っ正面から照りつける。暑い!越良川の上流で飲料水を500mのPETボトル2本に蓄えてきたが、その消耗が激しい。先ほどから目指す鹿川の浜は進行方向に見えてはいるが、歩いても歩いても歩いても歩いても目前に見える鹿川は一向に近くならない。ジャングルの中だと見通しがきかないので長い距離でも精神的な疲労は比較的少ないが、このような見通しのきく場所では先が見えているだけに精神的に疲れる。2本目のPETボトルの水が底をつきかけている。まずい、とにかく早く鹿川に着かなければ。鹿川には沢が何本か流れ込んでいて水は豊富である。
 断崖から水しぶきがしたたり落ちる場所に遭遇する。下に落ちた水は岩の上を流れて海に達するが、その水の流れ道が黒く変色している。山中の沢でもよくあることだが、このような黒いところは非常に滑りやすいので歩くときには特に注意が必要である。私はそのことが十分にわかった上で、岩の上の黒いところに慎重かつ慎重に足をかけた。ところが、である。その場所の滑り易さは私の予想をはるかに超えていた。そこに片足を置いてほんのわずかに体重をかけたとたん、“つる〜〜〜っ”とそれはものの見事に滑り、ふたつのザックを背負ったまま3m以上先まで滑っていった。野球のスライディングでもここまで見事には滑れないだろう。半ばあきれつつ立ち上がったが、腰を少し打ったくらいでそれほどのダメージはないようだ。少々自慢になるが、私は学生時代に柔道をやっていたので転び方は心得ているのだ。なお、後続の二人が同じ運命をたどったことは言うまでもない。
 飲み水が底をつきかけたせいもあって少しペースが速くなり、後続の二人と大きく離れてしまったようだ。しかし完全に見通しのきくルートなのであとの二人はそのうち来るだろう。そう思って私はさらに足を進めた。目指す鹿川はもうすぐだ。おそらくこれが最後の岩場だろう。そこを越えると初めて岩がまばらになってきた。その向こうには鹿川の大きな砂浜が広がっている。ついに、ついに、鹿川に到着したのである。時計を見ると既に午後5時を回っており、越良越えを抜けてからここまで実に3時間以上を要したことになる。
ナサマから鹿川の浜を遠望 ナサマから鹿川まで延々と続く転石帯
ナサマから鹿川の浜を遠望 ナサマから鹿川まで延々と続く転石帯
 鹿川に到着してみると、おそらく船を使って海路で来たのであろう、そこには既に2組のキャンプチームがいた。私は彼らの使っていないいちばん東側(ナサマ寄り)の沢の付近をテントサイトにすることにした。あとでクマさんから聞いた話では、鹿川ではそこがベストのテントサイトなのだそうである。その場所は山から水が小さな滝のように流れ出していて、それほど水量は多くはないが、下に落ちて小さな沢の流れを作っている。私はその場所に着くなり、荷物を全部投げ出して沢の水で喉の渇きを潤した。大きなステンレスのマグカップに3〜4杯は飲んだだろうか、とにかく冷たくてうまい。そのあと、件の小さな滝で水浴びをして服を着替えた。生き返る心地がした。後続の二人の姿はまだ見えない。私は、そそくさと自分用のドームテントの設営に取りかかった。そうこうしているうちにようやく山本君と黒瀬さんが到着した。私から遅れることおよそ30分である。事情を聞いてみると、黒瀬さんが強烈な西日のためにやや熱射病状態になり、休み休み歩いていたとのことだ。山本君が語る、“あの岩場歩きに比べたら山が可愛く思えましたよ。あと1時間歩いていたら僕の足はたぶん終わってましたね”。山本君が自分のサンダルを見せる。よくこれで歩き通せたものだ。おまけにあの荷物を持って。サンダルの裏を見ると、中央部が激しく減っている。“普通の使い方では絶対にこんな減り方はしないんですけど”と山本君。
 あたりはもう薄暗くなりかけている。黒瀬さんもすぐに水浴びをして、テントの設営に取りかかった。一方山本君はあたりの流木を集めてきてたき火を始めた。別に寒いわけではないが、キャンプでは火があると気分的に落ち着くのだ。とにかくハードな1日だった。3人ともかなりの空腹を覚えている。テントの設営が終わるとすぐに夕食の支度に取りかかる。夕食のメニューは、ありがちだがレトルトのカレーである。ご飯を炊くのはやはり女性に任せた方がいいということで、黒瀬さんの役目となる。山本君と私は別のバーナーで湯を沸かしてカレーのレトルトパックを暖める準備をする。件の沢の横の平らな岩を食卓に利用することにした。やがてご飯が炊きあがった。カンピラ荘で恵んでもらったお米を2合くらい炊いたらしいが、かなりのごはんの量である。ごはんを適当に各自のコッフェルによそってカレーをかけて食べたが、このごはんの炊き加減は抜群だった。固くもなく柔らかくもなく、さらに空腹も手伝って、とにかくうまい。私はあとでごはんをつぎ足したのでカレーが少し足らなくなった。それでもさらにごはんは余っているが、そのごはんを山本君が食べる、食べる。あのきゃしゃな体つきからは想像できない食欲である。実際、その日はそれくらいのエネルギーを消費していることは間違いないのだろう。
鹿川の浜に到着直前 夕食のご飯を炊く黒瀬さん
鹿川の浜に到着直前 夕食のご飯を炊く黒瀬さん
いきなり飛んできたシンジュサン 3人で静かに酒盛り
いきなり飛んできたシンジュサン 3人で静かに酒盛り
 夕食を終え、山本君のいれた薄いコーヒーでいっぷくしてから西表のキャンプでは恒例の酒盛りとなる。そのために請福(泡盛)の減圧パック1.8とつまみを持ってきているのだから。あたりは既にとっぷりと暮れて漆黒の闇である。空を見上げれば雲ひとつない満天の星空だ。西表の星空はいつ見てもそれは美しい。背後の山の稜線のすぐ上にひときわ明るい星がひとつ見える。おそらく宵の明星の金星だろう。目の前の海からの心地よい潮風と波の音がさらに雰囲気を醸し出す。酒盛りといってもバカ騒ぎするような雰囲気ではなく、静かに今日一日のことを語り合う。このツアーを企画した本人が言うのも何だが、“今日は、カヌー、山越え、岩場歩きと、まるでエコツアーのトライアスロンのようだったね”と私が言えば、あとの二人は無言でうなづく。あきれていたのかも知れない。しかしこのツアーはまだ終わっていない。明日のことは考えないことにしよう。しかし鹿川はキャンプ地としては絶好の条件を備えている。内湾で波が穏やかなところに長い砂浜が広がり、さらに水場には事欠かないのだから。さらに、道具があればすぐ前の海で食料の魚介類の調達も容易である。山本君が言う、“鹿川の土地ははまるでキャンプをしろと言ってるみたいじゃないですか”。言うまでもなく、キャンプを目的として鹿川を訪れる人は多い。その多くは船を利用しての海路によるものだが、船浮ルートなどの陸路によるキャンパーもいるそうだ。しかし、さすがに越良越えルートからのキャンパーはめったにいないのではないだろうか。今日一日の体験でつくづくそう思った。
 気分よく酒盛りをしていると何か大きなものがあたりを飛び回っている。その動きからしてコウモリか?とも思った。その物体は意外に簡単に手づかみで捕獲できた。捕まえてみると大きな蛾である。おそらくランタンの明かりに寄ってきたのであろう。ライトで照らしてみると、これはどう見ても特別天然記念物の世界最大の蛾であるヨナグニサンに見える。ただ、ヨナグニサンにしては大きさが少し小さいようだ。捕まえて帰ってマニアに売り飛ばそうかとも思ったが、とりあえず写真だけ撮ってリリースした。カンピラ荘に帰って専門家の長吉さんやガンさんに訊いてみたところ、これはヨナグニサンに非常によく似てはいるが、別種のシンジュサン(真珠蚕)という蛾であったらしい。
 左手のダイバーウォッチをライトで照らして見るともう午後10時近い。昼間は相当に暑かったが、この時間になると涼しいを通り越して少々肌寒い。山本君たちは準備よくトレーナーを着込んでいる。私は防寒のために薄手のレインコートをはおった。適度に酒も回り、疲れも手伝ってしだいに睡魔が襲ってきた。心地よい疲労感を感じる。そろそろ寝ることにしよう。おのおののテントに入って就寝である。私は、例のレインコートを着たままシュラフカバーにくるまって寝たが、防寒のためにはさらにシュラフあるいはトレーナーがあった方がよかったかも知れない。しかしテントの下は砂地で柔らかく、けっこう快適に眠ることができた。
9月19日、鹿川は朝から快晴 鹿川からナサマの岬を望む
919日、鹿川は朝から快晴 鹿川からナサマの岬を望む
 翌日、早朝に目が覚める。時計を見るとまだ午前6時過ぎだ。とりあえず自分のテントから起き出してみると、ようやく空が白みかけてきたところである。昨夜よりもさらに冷え込んでいるようだ。気温はもしかしたら20℃を切っているかも知れない。テントのフライシートは夜露でじっとり濡れている。しばらくあたりを散策してみる。波の音しか耳に入らない。かつてここに住んでいた鹿川の仙人の気持ちがわかる気がする。前日の状況から考えて帰りの行程も相当時間を要することが予想されるので、その日は極力早く鹿川を出発したいと考えていた。8時くらいに出発できれば余裕ができるのだが。午前7時前、爆睡していた二人のテントを揺さぶって彼らをたたき起こす。前回彼らといっしょにやった島の縦断では、この二人が9時くらいまで寝ていたために出発が昼前になってしまったという苦い経験がある。しばらくして、半分寝ぼけながらやっと彼らが起き出してきた。さっそく朝食の制作に取りかかる。炊飯はまた黒瀬さんの役目だ。朝食はいたってシンプル、ごはんにインスタントの味噌汁、それに缶詰のソーセージなどである。もう日の出の時刻は過ぎているはずだがまだ太陽は見えない。北側の山にさえぎられているのだ。朝食を食べている最中にようやく日が差し込んできて、あたりがにわかに明るくなった。暖かい。太陽は偉大だと思う。これが前日我々を苦しめた太陽と同じとは思えない。自然は時に厳しく、時に優しいものなのだ。その数時間後、我々はその厳しさをまたいやというほど思い知らされることになるのだが。
 鹿川出発の目標を8時と思っていたのだが、なかなか思うようにはいかない。キャンプ道具、食器、テントなどの後かたづけにけっこうな時間をとられ、全員のパッキングが完了したのは結局9時前になってしまった。まあそうこうしているうちに、夜露で濡れていたテントのフライシートは朝日に当たってあっという間に乾いてしまったが。
 さて、いよいよ帰路に向かう。この日も空は雲ひとつない快晴だ。難所だったナサマの断崖は鹿川から見ると岬の突端のように見えている。とりあえずナサマまでまたひたすら歩かねばならない。鹿川を出発するとすぐ、例の地獄の転石帯が続いている。何も考えずにとにかく歩く、歩く、歩く。きのうは夕日に向かって歩いたが、今日はまともに朝日に向かって歩くことになる。夕日と朝日、どちらが日差しがきついかといえば、それは朝日である。夕日の場合は日が沈むにつれてしだいに日差しが柔らかくなっていくのだが、朝日は全くその逆だ。暑い。きのう、鹿川に向かって歩いていたとき以上だ。時期が9月なのでそれでもまだ少しましだと思うが、これが真夏の7〜8月だったらおそらく全員脱水状態を起こしていたところだろう。途中、何度か休憩を取る。きのう以上にのどが渇いている。鹿川の沢で補給してきた飲料水を思いっきり飲みたいところだが、ここから先越良川まで補給できるところがないので我慢して節約しなければならない。山本君が言う、“いまビールの幻が見えましたよ”。確かにもしここでキンキンに冷えたビールを飲めたなら、それは死ぬほどうまいことだろう。ただし、そこから先の行程がなければの話だが。
 例の滑り易い岩場は、十分な注意を払ったおかげで今度はなんとかクリアーできた。あるところで転石帯が途切れて海になっている。きのうこんな場所あったかな?と思いつつ、海に入ってみると水深は腰くらいまである。そう、きのう確かにこの場所は通っていたのだが、そのときは潮が引いていたので気にならなかったのだ。いまはかなり潮が満ちてきているようで、けっこうな水深になっている。それでもナサマのようにリーフが途切れることがないのはわかっているので、全員頭の上に荷物を抱えて海の中を歩く。海中の岩につまずいて何度か転びかけ、大切な荷物が海の藻屑と消えるところだったが、何とかことなきを得た。しかしそれにしても潮位のことは考えていなかった。胸中を一抹の不安がよぎる。
 さらに同じような場所をもう一ヶ所通過する。山本君は重い荷物を頭上に抱えて少しうつろな目で歩いている。やはり暑さでまいっているのだろうか。海中を歩ききると、彼はおもむろに荷物を開けて夕べの泡盛の飲み残しを取り出した。“なんか無性にきつい酒が飲みたくなってねえ”と言うと、上向きに口を大きく開けて泡盛を一気に流し込んだ。しばらくして、“きたきたきた”と言う。度数の高い酒を飲んだあと胸のあたりに込み上げてくるあのムカッとした感覚だろう。しかしそれにしてもどうしてこんな状況で泡盛など飲む気になるのだろう?あるいはさっきのビールの幻の誘惑に駆られたのだろうか?彼とのつきあいは長いが、常人の理解をはるかに超えたところがある人物だ。
頭の上に荷物を抱えて海の中を歩く 岩場は続くよどこまでも
頭の上に荷物を抱えて海の中を歩く 岩場は続くよどこまでも
もうじきナサマへ到達 ナサマの断崖で荷物を下ろす山本君
もうじきナサマへ到達 ナサマの断崖で荷物を下ろす山本君
 さらに足を進める。ナサマの岬が少し近づいてきた・・・ように思いたい。ナサマの岬はずっと進行方向に見えているが、それだけに距離感がわからない。こんどは間違いないだろう、この岩場を越えたらナサマだ。強烈な日差しと渇きに耐えつつようやくナサマの断崖にたどり着いた。時刻は11時半、鹿川から2時間半かかっている。ここでの作戦はきのうと同じで、今度は断崖の上から荷物を下ろすことになる。一旦みんなで断崖の上に登って荷物をまとめる。そこで山本君が言う、“いっそここから全部ぶん投げちゃいましょうか?”。相変わらず過激なやつである。今度はきのうとは攻守ところを変えて山本君たちが断崖の上から荷物を下ろし、私が下で受け取ることにした。私だけ先に岩場を下り、下のテラスに向かうべく海に入った。ところが、きのうよりはるかに波がきつくて非常に泳ぎにくい。あとで気がついたが、潮が満ちているためにいろいろなところに波ができ、それが岩場の複雑な地形のために互いに干渉しあってさらに複雑な波を作っているのだ。断崖の上で山本君たちが手を振っているのが見える。私も手を振りかえそうとしたが、そんな余裕をかましている状況ではなかった。
 テラスに上陸する前にその先の様子を偵察に行ってみた。先ほどから潮が満ちてきているのはわかっていたが、さらに潮位が高くなっている。きのうよりも1m以上は水位が高いだろう、きのうは歩けたところでも場所によっては足がたたないのだ。これはまずい!下のテラスまで荷物を下ろすのはいいとして、そのあとをどうするのだ?そんなことを考えつつ、また戻って例のテラスに上陸した。上陸するときにも例の複雑な波にあおられてかなりの苦労をした。
 さて、とにもかくにもまず最初の作戦遂行である。山本君が荷物を件の断崖の上のロープに結びつけてゆっくりと下に下ろす。きのうと同じように荷物が岩の壁面の凹凸にひっかかってうまく下りない。すると黒瀬さんが一段下の岩まで下りてきてロープを揺さぶってはずす。勇気のいる行動だ。山本君にしても、いくら怖いもの知らずとはいっても、荷物を下ろすたびに断崖の上から大きく身を乗り出すのはやはり怖かったそうだ。ビルの5階くらいの高さである。間違って落ちたらたとえ不死身の山本君でもおそらく命はないだろう。それでも、きのう荷物を上げたときに比べると短時間でこの作業は終了した。上りよりも下りの方が楽なのは自明の理だろう。
 やがて、山本君たちが下に降りてきた。断崖の向こう側の大岩から泳いで私のいるテラスに向かっている。先を泳ぐのは黒瀬さんだ。昔、競泳をやっていただけあって泳ぎ方はさまになってはいるが、やはり波のために泳ぎにくそうだ。テラスに上陸しようとするが、波にあおられてなかなか上がってこられない。その場所でもがいているうちに山本君が追いついてきた。結局何とか二人ともテラスに上がってきたが、さてそのあとをいったいどうしたものか・・・
黒瀬さんが断崖の向こう側から泳いできて、 テラスに上陸しようとするものの・・・
黒瀬さんが断崖の向こう側から泳いできて、 テラスに上陸しようとするものの・・・
波にあおられてはね返され、 ひっくかえってしまった黒瀬さん
波にあおられてはね返され、 ひっくかえってしまった黒瀬さん
 我々3人はテラスの上でしばし考え込んだ。潮待ちをして干潮になるのを待つか?しかしそれでは今日のうちに白浜まで帰り着けないだろう。やはり何とかしていまここを越えるしかないようだ。意を決して、とりあえず私がこのテラスの先の状況をさらに詳しく調べに行くことにした。前述のようにテラスのすぐ下は足がたたないほどの水位だが、それから少し先では何とか胸くらいの深さになる。ただ、完全に水をかぶらない岩場となるとこのテラスの端から50m以上先になる。問題はその間をどうやって荷物を移動させるかだ。その間にいくつか大きな岩が海上に顔を出しているが、それを利用して駅伝のように岩から岩へとピストン輸送するしか方法はないだろう。とにもかくにもテラスから荷物を下に下ろすことにする。この大きな岩盤のテラスの下にはさらに小さなテラスがあって、きのうはそこから山本君の登山用ロープでテラスの上に荷物を上げたが、今日はその逆である。しかし今日はきのうと違って潮位が高く、かつ波もあるために下の小さなテラスは時折波しぶきを浴びている。私はその下のテラスで波しぶきを浴びつつ上から下ろされる荷物を受け取り、ひとつずつ頭の上に載せてすぐ近くの大岩の上まで運んだ。足元は起伏が激しくかつ非常に滑り易い。さらに水中のことなので進む先に何があるか全くわからない。何度もバランスを崩して転びかけたが、とにかく荷物を濡らしてはいけない、その一心で踏ん張って何とか最初の大岩までは全部の荷物を移動させた。そうこうしているうちに山本君と黒瀬さんもやって来て、その作業に参加する。人手が増えたので流れ作業的に運搬できたかと思いきや、そんなにうまくはいかない、3人ともよたよた歩きでなかなか作業ははかどらない。
 ネックはやはり山本君の大きなザックだった。食料を消費したぶん多少重量は減っているもののやはりこれは重く、短い距離なら何とかひとりで運べたが、岩と岩の間が10mにもなるとひとりではきつい。そこでもっぱら私と山本君のペアでふたりで頭に載せて運んだが、これがまた傑作だった。前述のように足元の岩は非常に滑りやすい。私はマリンブーツなのでまだましだが、サンダル履きの山本君は滑りまくってたいへんだった。おまけに水中は起伏だらけで、先をゆく私が足で前方を探って、“岩、岩、岩”とか、“溝、溝、溝”というかけ声の連発だった。あるとき、山本君が耐えきれずに、“あ゛〜っ”と叫んで全身が水没しかけた。そのとき私は必死でザックのもう片方を支えたが、その甲斐なくザックの4分の1くらい濡れてしまった。しかしそのときの状況からすればそれくらいの被害で済んだのは良しとすべきだろう。こんどは、突然私の左足の膝に鋭い痛みが走った。足を水中から揚げてみると筋状にいくつか傷が付いていて、血がにじみ出ている。中にはちょっと浅くない傷もあるようだ。どうも、岩の表面に付いているカキ殻で切ったようだが、痛いなどといっている状況ではない。とにかくこの作業を完了するのが先である。
 件の山本君のザックの目方を軽くするために、濡れても差し支えない泡盛の紙パックとか飲料水の入ったPETボトルなどは予め出しておいた。それらのものは海上を泳がせて運搬したが、例の泡盛の紙パックはそのために外装の紙がすっかり溶け、透明な厚手のビニール袋のような状態になってしまった。おかげで、飲み物の紙パックがどういう構造になっているかがよくわかった。
 とにかくたいへんな作業だった。悪戦苦闘の末、我々はどうにかこうにか波がかからない場所まですべての荷物を移動し終えた。その場所は岩と岩の間の狭い隙間だが、そこから先は歩いて行けそうだ。私はひとまず自分の荷物を抱えてその場所から少し先に進み、平らな大岩の上に寝転がって濡れた体を乾かしつつ呆然としていた。特に疲れていたわけではなく、先ほどまでのばかばかしい作業にあきれていたのだ。時計を見ると既に午後1時前になっている。帰路ではナサマを越えるのに1時間以上かかってしまった。山本君と黒瀬さんはなかなかやって来ない。どうものんびりと体勢を立て直していたらしいが、やはりB型人間である。ようやく二人がやってきたところで出発となる。きのう越良越えから降りてきたところはもうすぐのはずだ。ところが、もう越良浜のすぐ手前まで来ているのに目印が見つからない。山本君がきのうあれほど念入り岩に刻みつけた矢印が見つからないはずはないと思うのだが・・・少し引き返してみる。そのとき、“あったー!”と、目印を発見したのは何と黒瀬さんだった。あれほどたくさん付けた目印も西表の大自然の中では本当にちっぽけなものだということがよくわかった。
 さて、その場で昼食をとも思ったが、日陰も水場もなくあまり適当な場所とは思われなかったので、昼食は越良川まで降りてからにすることにした。私と黒瀬さんは長ズボンを着けて山越えに備える。山本君もサンダルに靴下をはいた。例のテープのマーキングのところからアダンの森に突入する。しばらくアダンのトンネルを上へ登っていくと例の藪が待ちかまえている。蔓に絡まってやはり歩きにくいが、今度は道筋はかなりわかりやすい。帰路ではこの道を越良越えルートと信じて道に沿って歩くことにした。登って行くにつれて道はやや左(鹿川寄り)に向かっている。相変わらずすごい傾斜で、激しい息切れを覚える。あるところで少し道がわからなくなり、探しているときに先頭が入れ替わって山本君になった。しかし何というやつだろう、こんな急傾斜の道を難なくスイスイ登っていく。しかもサンダル履きで。私は辛うじて彼の後についていったが、はっきり言って心臓が口から飛び出しそうだった。やはり彼はいろんな意味で人間離れしている。頂上が近づくと傾斜は次第に緩やかになり、道はさらに左へ巻いている。ようやく頂上の林に到達したが、たぶん私の心拍数は平常時の2倍以上だったであろう、もう倒れる寸前だった。“きゅ、休憩しよう”と私が言うと、山本君は平然として“そうですね”と返す。うしろを振り向くと黒瀬さんの姿が見えない。“おーいっ”と山本君が呼んでも返事がない。そこで山本君が捜索に向ったが、まだかなり下の方でいたそうだ。我々のペースについてこられなかったようだったが、たぶんそれが普通だろう。
 林の中で休憩した場所は、きのう休憩した場所からおそらく数十メートルほど西(鹿川寄り)だったと思われる。頂上の林の中の景色はどこも同じに見える。息切れが落ち着くと今度は猛烈なのどの渇きを覚えるが、手持ちの飲料水はもうほとんど底をついている。そこで山本君の持っている大きなPETボトルの水を分けてもらう。ありがたいことだ。ひとしきり休んで息を整えてから出発である。そこからしばらく進むと道がいくつかに分かれている。どの方向にもテープでマーキングがしてあるが、どちらへ進むべきか?こういうときに山本君のコンパスが役に立つ。我々は越良川を目指してまっすぐ北に進めばよいわけだから、そのまま道なりのコースをゆくことにした。ここでの分かれ道は、イノシシ捕りなどに使われる猟師道とか、あるいはそこからまっすぐナサマの断崖の上に通じる道なのかも知れない。クマさんの話では、ナサマの断崖の上に出る道もあるらしいとのことなので、今度機会があればこれらの分かれ道を歩き詰めてみたいとは思う。
 さてそこから先は何とも歩きやすい道だった。道は相当に開けていて、ところどころでクネクネしてはいるが、そのぶん傾斜はきつくなく、確実に下に降りている。これが話に聞く越良越えのルートであることはもはや疑う余地はなかった。往路のあの険しい上りがまるでウソのようである。山本君を先頭にして我々3人はスイスイと下り、途中少々高い段差のところもあったりしたが、大した問題もなく下の方まで下ってきた。ところが、あるところで先に進むべき道がわからなくなってしまった。左の方に道らしきものがあったので私が偵察に行ってみたが、道ではなかった。少々きつい傾斜をまっすぐ下に降りてはいけそうだが、それは道のようにも沢筋のようにも見える。思い切ってそこを下へと降りてみると少し開けた場所になっていて、耳をすませば沢の音が聞こえる。越良川だ!もう越良川のすぐ近くまで来ていることは間違いない。とにかく越良川に出れば、川沿いに歩けば例のカヌーの係留点にたどり着けることは確実なのだ。その場所にはリュウキュウチクの藪が茂っていた。そこからとりあえず右方向に歩いてみたが、突然山本君が吠える、“ワンワンワン”。彼の視線の先を見やれば、そこには我々のカヌーが見える。まるで花咲か爺さんのようだが、我々はカヌーの係留点まで戻ってきたのだ。あとで思えば、復路で下ってきた道はカヌーの係留点のわずか20〜30mほど下流に出た。往路ではカヌーから上流に向かって歩いたが、越良越えルートの入り口は遡上限界点から少し下流にあったのだ。そして、件のリュウキュウチクがその目印となるが、最初の上り10mほどはかなり道がわかりにくく、しかしそこをクリアすればその先の道はわかりやすい、ということがわかった。今後越良越えルートに挑戦される方は参考にされたい。
 時計を見ると、時刻は午後2時前、復路はわずか1時間程度で越良越えを成し遂げたことになる。越良川に着くとすぐ沢の水を飲んで渇きをいやす。うまい!生ぬるいPETボトルの水とは大違いだ。きのう沢の中に置いてきた例のフネアマガイを確認しに行ったが、全く無事であった。
 さてようやく昼食にありつける。きのう昼食を食べたのと同じ越良川の河原に座り込んで、遅い昼食はカップラーメンである。川満スーパーでは金ちゃんヌードルというカップラーメンが売られている。徳島の会社の製品なので私の地元の香川ではおなじみなのだが、関東の方では売っていないらしい。そんなことはどうでもいいのだが、このラーメンを三つ制作することになった。山本君が手際よくコンロで湯を沸かす。湯が沸く間、彼はラーメンのカップをひとつずつ開けて粉末スープをラーメンの中に入れる。私の分、黒瀬さんの分とやり、最後の自分の分のときに不覚にも手がすべってしまい、カップを倒してしまった。哀れにも、粉末スープとラーメンの具のほとんどは地面の上に散らばってしまった。“あーあ”、私と黒瀬さんがハモる。わずかに泥のついていないところをカップの中に戻すが、それぐらいのことはキャンプでは(あるいは彼の場合日常生活でも)当然のことである。しかしながら悲惨なことに、スープと具の大部分は回収不可能な状態だった。山本君は、“僕は薄味のラーメンが好きなんだよっ!”と、思いっきり負け惜しみを言っている。“まだ食料に残っているインスタント味噌汁とかお茶漬けのもとで味付けしてみたら?”と私が勧める。しかしそれにしても可哀想である。ほとんど彼ひとりでラーメンを作ってくれているのに、その本人だけがこんな目に遭うとは。私は彼のラーメンを自分のものと取り替えてあげようと思った。が・・・思っただけだった。
 ラーメンを食べ終わると、さらにデザートがあった。桃缶(白桃の缶詰)と“あまがし”というあんみつの出来そこないのような食べ物である。これらは、前日鹿川での夕食のあとで食べようと思っていたのだが、前日はごはんを食べ過ぎてデザートまで食べる気にならなかったのだ。山歩きをしたことのある人なら、山中での甘いものがどれほどおいしいかよくわかるであろう。山歩きにはよくキャンディーなどを持ち歩くが、疲労で血糖値が下がったところに糖分を摂るとそれは普段の何倍も甘くおいしく感じるものなのだ。とりあえず私が桃缶を開けて一切れ食べてみたが、そのとてつもないおいしさに思わず笑ってしまった。桃缶を黒瀬さんに回す。彼女も“うぅ〜ん”と唸ったまま声が出てこない。山本君も同じだ。桃缶は3人で汁まで一滴残らず平らげてしまった。あまがしの方は桃缶に比べるといまいちだったが、それでもけっこういけた。ただ、普通の状態で食べたらそれほどうまいものではない気がした。
越良川上流を出発 越良川中流
越良川上流を出発 越良川中流
越良川河口 越良川の川岸に生えるヤエヤマヒルギ
越良川河口 越良川の川岸に生えるヤエヤマヒルギ
 さていよいよ最後の行程だ。山本君が言う、“あとはカヌーを漕ぐだけですね”。“ただ、その“だけ”がな〜”と私。昼食の後かたづけをしてパッキング完了。時刻の方は2時40分、行きのペースで漕げば夕方までには十分に白浜に帰り着ける。そのとき私にはもうひとつのオプショナルプランがあった。帰りに少し寄り道をして水落の滝へ寄るのである。水落の滝は越良川の西隣に隣接しているミズウチ川にかかる小さな滝で、かつてしげた丸のツアーで行ったことがある。最近では白浜から水落の滝までのカヌーツアーもさかんだ。ミズウチ川へは越良川の河口からわずかの距離なので、水落の滝まで寄り道をしても大勢に影響はないはずである。
 カヌーのロープを解いてカヌーを出そうとするが、気がつけばきのうより川の水位がずいぶん下がっている。“ずいぶん水減りましたねー”と、山本君。考えてみると、ここは上流ではあるが、まだ潮汐の影響を受ける感潮域だったのである。つまり、きのうここに到着したときには満ち潮だったために水位が高かったが、今は引き潮なので水位が下がっているということなのだ。西表の河川は高低差が小さいためにこのような形態のところが多い。例えば沖縄県最大の浦内川では、河口から数km上流でも干潮時にはボートが上れなくなる。
 水位が下がっているためにカヌーを漕ぎ出してしばらくは艇の底を擦ったり岩にぶつかったりしたが、しばらくするとやがて十分な水量となる。帰路では、越良川の川岸の景色の変化を楽しみながらのんびりとカヌーを漕いだ。西表ではどこの川でもカヌーは実に楽しいものだ。やがて河口に到達する。越良川の河口の川幅はゆうに500mはあるだろう。目指す水落の滝は越良川の河口を出て左である。そこで近道と思って河口を左斜めに横切ろうとしたのだが、これが間違いだった。河口の左側(右岸)は広大な浅瀬だったのである。しまった、と思って引き返そうとしたがもう遅かった。カヌーは座礁寸前である。こういう状況になってしまったら降りてカヌーを引っ張るしかない。そこで私は川の中央部の本流に向かって延々とカヌーを引きずった。その浅瀬で200〜300mは引っ張っただろうか、ようやくカヌーが漕げる深さのところに出た。けっこうたいへんな仕事だった。カヌーは、漕いでいるときは便利な道具だが、一旦漕げなくなればとんでもない大荷物となる。
水落の滝 ミズウチ川の両岸にはマングローブがよく発達する
水落の滝 ミズウチ川の両岸にはマングローブがよく発達する
内離島と西表島の間の水道を遠望 ゴールの白浜部落を遠望
内離島と西表島の間の水道を遠望 ゴールの白浜部落を遠望
 ところで、さっきから山本君たちのカヌーの姿が一向に見えない。まさかまた喧嘩をして沈没でもしたか?今日は佐渡おけさは歌っていないのだろうか?しばらく越良川の出口で待っていたが来ないので、とりあえずミズウチ川の河口まで移動することにした。ミズウチ川の河口から越良川の河口を遠望しつつ、そこから出て来るであろう彼らを待っていたが、さらに彼らのカヌーは見えない。いったいどうしたんだ?二人乗りのカヌーは一人乗りに比べて推進力が2倍なのだから、パドルのタイミングさえ合えば理論的には2倍の速さが出るはずなのに・・・待つこと約10分、ようやく彼らのカヌーが越良川から出てきたのが見えた。そこで私はミズウチ川の河口に停泊した自らのカヌーの上でパドルを振って彼らに合図を送った。彼らがそれに反応したように見えた。そこで私は安心してミズウチ川の中に漕ぎ入り、水落の滝に向かった。ミズウチ川は流呈の短い川で、河口から水落の滝まではカヌーで5〜10分ほどでたどり着ける。ミズウチ川の両岸には見事なマングローブ(特にヤエヤマヒルギ)が非常によく発達している。すぐに水落の滝に着いて、私はさらに彼らの到着を待っていた。しかし・・・彼らは来ない。滝の真下にカヌーを停めて、ぼ〜〜っとしながら15分以上待っただろう、しかしそれでも彼らは来なかった。
 もうこれ以上待っていられなくなったので、とっとと帰ることにした。彼らがどこかの変な川にでも迷い込んでいないことを祈りつつ、最終目的地の白浜に向かって出発である。時計を見るともう4時半近い。少し急がねばならない。少々ピッチを上げてカヌーを漕いだ。内離島と西表島の間の水道を通過する。もうあと一息である。私のカヌーのすぐ近くを何隻もの動力船が通過する。そのたびにカヌーは横波にあおられるが、もうちょっと思いやりのある操船をして欲しいものだと思う。ふと前を見ると1艇のカヌーが見える。山本君たちの艇のようだ。あとで話を聞いたところでは、越良川から出てきたときに私がどこにいるか全くわからなくなってしまったので、仕方なくそのまま帰路についたとのことだった。ミズウチ川の河口で私がパドルを振っていたのに気が付いたと思ったのは大きな勘違いだった。しかしあれほどパドルを振っていたのに、おまえたちは目が悪いのか・・・と言おうとしてよく考えたらその通りで、二人ともかなりの近視である。まあそれはいたしかたなかろう。
 目指す白浜はもう目の前だ。山本君たちのカヌーが白浜に到着するのが見える。私の艇も程なく白浜に到着である。午後5時20分、全員無事白浜に到着してこのツアーも完結である。白浜でカヌーを揚げているときに黒瀬さんが屋良商店でオリオンビールを買ってきた。すぐに3人で乾杯である。このときのビールはそれはうまかったが、それにも増して私は満足感と充実感に包まれていた。よくこの少々無謀な計画を最後まで成し遂げられたものである。山登りにしても岩場歩きにしても、やっているそのときはそれはきついものだが、あとになって思い返すととても楽しい思い出になる。中でもいちばん楽しかったと思うのが、復路にナサマで頭の上に荷物を抱えて海の中を右往左往していたときである。あんな経験はめったにできるものではないのだから。
 とにかく西表の自然はすばらしい。私はもっともっと多くの人にそのすばらしさをわかっていただきたいと思う。ただ、今回の鹿川ツアーについては積極的にお勧めすることは少々躊躇するが、それほど危険が伴うわけではなく、ただ体力的にきついだけだ。このツアーから1ヶ月ほどあとに山本君たちと東京で会ったが、私がこの体験記をホームページに載せる話をしたら、山本君は、“よい子はまねしないで下さい”と書いといたほうがいいのでは、と言っていたが、私はそこまでのことはないと思う。体力に自信のある方、冒険心旺盛な方など、この体験記を参考にして是非このルートにトライしていただきたいものである。

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